2009年01月22日
KL 2
クアラルンプールのつづき
2日目の朝
朝ごはんはバイキング形式でほぼ日本と変わりません。
まずは、クアラルンプールの王宮に行きますが、その前に歴史についてお勉強
クアラルンプールは中国人の植民者によって、スズの採掘拠点として1857年に開発された。彼らはクラン川とゴンバック川の合流点に落ちつき、そこをクアラルンプール、すなわち「泥が合流する場所」と呼んだ。イギリスに支配された1873~1957年のうちに、スズとゴム産出の中心として発展し、1874年にイギリスの政治介入をスルタンに了承させる内容のパンコール条約を締結。1896年にはイギリスによって統合された、イギリス保護下のマレー連合州の首都となった。第2次世界大戦中の1942年、イギリス軍が日本軍によって制圧されるクアラルンプールの戦いによって、クアラルンプールは日本の統治下に入ったが、1945年の終戦によって再びイギリス統治になった。1957年8月30日、マラヤ連邦がイギリスから独立してクアラルンプールはその首都となり、1963年にマレーシア連邦が結成されてからも同国の首都の座を維持した。1974年、スランゴール州から分離してマレーシアの直轄地域となる。その後もマレーシアは順調に成長を続けていたものの、1997年にタイから始まったアジア通貨危機で大打撃を被った。これは第二次世界大戦以来、右肩上がりの成長を続けていたマレーシアが初めて体験する大きな試練だった。その翌年1998年は、クアラルンプールがアジア・アフリカでは初のコモンウェルスゲームズの開催都市となり、これがマレーシア国民の自信をいくらか取り戻すきっかけとなった。1999年、首相官邸が新行政都市プトラジャヤに移転した。
王宮の門の前には兵隊さん?が、微動だにせず立っています。
王宮の中には、一般人は年に2回 (クアラルンプールのお正月と王様の誕生日) だけ入れるみたいです。
ただ、トンちゃんに聞いたらその日は人が多くまだ入ったことは無く、王様もまだ見たことないと言っていました。
次に国家記念碑に行きましたが、警察官が多いと思ったら
マラソン大会があっていました。
クアラルンプール国家記念碑
レイク・ガーデン北端に近い丘の上にある国家記念碑。
1950年代の独立戦争で勇敢に戦った兵士を称えるため建造された高さ約15mの大きなブロンズ像。
説明をしているのが現地クアラルンプールJTBのトンちゃんです。
私より2つ年下でした。ちょっとビックリ!
これが今回視察研修にいっそに行ったメンバーです。
上のマークは、マレーシアの国章
クレスト
三日月および14個の頂点のある星(連邦の星、フェデラル・スター)からなる黄色いクレストは、マレーシアの君主制を意味する。三日月はさらに国家の主要な宗教であるイスラム教を示し、フェデラル・スターはマレーシアの連邦を構成する13州と連邦直轄の首都クアラルンプールを意味する。
もとは14個の頂点のある星は、シンガポール州も含むマレーの14州を表していた。シンガポールがマレーシアから分離したあとも星の形状は変わらず、13州に加えて連邦直轄地を含むことに意味づけが変わっている。
今日はここまで・・・・。
講習会オィ大変足ひっぱりました木村サンスマソ
皆さんお疲れっス